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<魏 223年> <蜀漢 223年> <呉 223年> 223年 黄武二年(呉) 皇帝 曹丕(魏文帝) 三公(呉) 呉王:孫権 丞相:孫邵 その他の要職(呉) 太常:? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 主な事件 二年春正月、魏の曹真は軍を分けて江陵の中州に拠る。《三国志呉書呉主権伝》 是月、城江夏山。四分暦を改めて乾象曆を用いる。《三国志呉書呉主権伝》 三月、曹仁は將軍の常彫等を遣わして、兵五千をもって油船に乗り込み、濡須の中州に渡る。曹仁の子の曹泰は軍を引いて急に朱桓を攻める。朱桓は之を拒み、別に將軍の嚴圭等を遣わして常彫等を擊破する。《三国志呉書呉主権伝》 三月、魏軍は皆退却した。《三国志呉書呉主権伝》 夏四月,孫権の臣下は尊號を奉るべきと勧めたが、孫権は許さなかった。《三国志呉書呉主権伝》 劉備が白帝で薨去する。《三国志呉書呉主権伝》孫権は立信都尉の馮熙を遣わして蜀に行かせ、劉備の喪を弔う。熙字子柔。潁川人。《三国志呉書呉主権伝に引く吳書》 五月、曲阿で甘露が降ったと伝えて来た。《三国志呉書呉主権伝》 六月、これより先、戲口の守將である晉宗が將の王直を殺し、魏に寝返っていた。魏は蘄春太守と為す。晉宗は数度呉の邊境を侵犯する。孫権は將軍の賀齊に命じて糜芳、劉邵等を督して蘄春を襲撃した。邵等は宗を生け捕りにした。《三国志呉書呉主権伝》 冬十一月、蜀は中郎將の鄧芝を使者にして來聘した。《三国志呉書呉主権伝》蜀は馬二百匹、錦千端、及び方物を返礼とし、自今後、互いに往来することが常態となった。吳はまた産出物を返礼としその厚意に答えた《三国志呉書呉主権伝に引く吳歴》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 222年<< >>224年
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<魏 223年> <蜀漢 223年> <呉 223年> 223年 章武三年→建興元年(蜀漢) 皇帝 劉備(漢昭烈帝)→劉禅(後主・魏安楽公) 皇后 吳氏→長楽宮皇太后と為す 張氏(車騎將軍張飛の娘) 三公(蜀漢) 丞相:諸葛亮(前軍師将軍) 司徒: その他の要職(蜀漢) 錄尚書事:諸葛亮 太傅: 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府: 大将軍: 驃騎将軍:? 車騎将軍: 衛将軍:? 主な事件 章武三年春二月、丞相の諸葛亮は成都から永安に至る。《三国志蜀書先主伝》 三月、黃元は兵を進め臨邛県を攻める.將軍の陳曶は黄元を討って黄元軍は敗れる。黄元は流に従って長江を下るもその親兵が縛るところとなり、生きて成都に送られ、斬られる。《三国志蜀書先主伝》 劉備の病は篤くなり、孤を丞相諸葛亮に託し、尚書令の李厳を副と為す。《三国志蜀書先主伝》 夏四月癸巳、先主は永安宮に於いて亡くなる。時に年は63歳。《三国志蜀書先主伝》 五月、劉禅は成都に於いて襲位する。時年17、皇后を尊んで皇太后と為す。大赦して改元す。《三国志蜀書後主伝》建興元年五月、後主が即位すると、皇后を尊んで皇太后と為し、長楽宮と為す。父である呉壹の官は後に車騎將軍に至り、県侯に封ぜられる。《三国志蜀書先主穆后伝》 五月,劉備の棺が永安から成都に還る。劉備を諡して昭烈皇帝。《三国志蜀書先主伝》 建興元年夏、牂牁太守の朱褒が郡を擁して反乱す。是より先、益州郡の大姓である雍闓が反乱する。太守の張裔を呉に流す。郡に撚り通交せず。越嶲夷王の高定がまた叛く。《三国志蜀書後主伝》 秋八月、劉備を惠陵に葬る。《三国志蜀書先主伝》 この年、張氏を皇后と為す。《三国志蜀書二主妃子後主敬哀張后》 尚書郎[登β]芝を遣わして呉と固く好を結ぶ。呉王の孫権は蜀と和し使者を送る。是歲より通好す。《三国志蜀書後主伝》 誕生者 死没者 劉備 黄元
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くにおくんの三国志だよ全員集合! part73-556,565 556 くにおくんの三国志だよ全員集合! sage ▼ 2022/10/09(日) 07 30 28.14 ID DIHfkh/h0 [1回目] 壱章 蒼天、すでに死す くにおは立ち寄った村を襲おうとしてる黄巾族をごうだ、ごだいと共に撃退。 そのまま意気投合した三人はチーム桃園三兄弟を結成、義勇軍として各地で暴れる黄巾族を倒す事にする。 各地で戦い、黄巾族トップ3の一人さわぐちの拠点の情報を入手、 拠点の入口はヤバそうな結界が張られていたが、山越えの裏口には張られて無かったのでそこから侵入、 さわぐちを倒し黄巾族の解散に貢献した。 弐章 雲起、龍が翳る ごうだの旧友へいるまんの元で働く三兄弟。 その頃、朝廷の実権を握ったさぶの横暴に耐えかねたやまだが暗殺を狙うが失敗、逃亡。 逃げきったやまだは反さぶ連合を格諸侯に呼び掛け、三兄弟もへいるまんと共に参加する。 しかし、明らかに前線に出ようとしないとうどうとむなかた、まえだが前線に出るが、むなかたの用意した兵糧が原因でまえだ軍は全員ダウン、 まえだ軍はこんな連合組んでる意味無い。と帰ってしまい、三兄弟だけでアボボ、みすずと戦う事に。 みすずを撃退したところにへいるまんから、やまだがさぶを攻撃したが失敗、逃げられた事が伝えられた。 557 くにおくんの三国志だよ全員集合! sage ▼ 2022/10/09(日) 08 06 27.39 ID DIHfkh/h0 [2回目] 参章 悪紫、朱を奪う さぶはみすずと仲違いし死亡、共通の敵が消え各諸侯が争い乱世も本番。 三兄弟はやまだに攻撃されたとうけんの援護に向かう事をへいるまんに伝え、へいるまんはすがたを共に付けた。 やまだ軍をある程度撃退したが戦力差は大きく戦い続けるの難しい為和睦を申し込む。 やまだ軍は他に優先する事が出来たのかあっさり和睦成立。しかしとうけんは安心したせいか張り詰めた糸が切れる様に倒れ死亡。 さおりからとうけんの、三兄弟に国を譲る。という遺言状を受け取るが、タイミングから余所者が騙して乗っ取った様にしか見えないので、 さおりがトップで三兄弟はあくまで協力者。という形に、すがたは顛末を伝えにへいるまんの元に戻る。 時が経ちみすずとはせべがやって来る。やまだが和睦に応じたのは彼女達と戦いになって戦力をそちらに回す必要が有ったからだった。 彼女達を受け入れるが、帝からとうどう軍と戦うやまだ軍に協力する様に。という書状が届く、 みすずを連れていけば無駄に衝突起きそうなのでごだいを見張りに残しやまだ軍と合流する。 はずが、合流直後にはせべから、ごだいとみすずが煽りあって結果みすずが暴れて手が付けられない。と連絡が。 慌てて戻る事をやまだに伝えるとやまだは赤兎馬の機動力を防ぐため水計を提案する。 水計は成功し三兄弟はみすずを討ち取る。 558 くにおくんの三国志だよ全員集合! sage ▼ 2022/10/09(日) 08 33 28.33 ID DIHfkh/h0 [3回目] 肆章 単騎、千里を走る ごうだとやまだの会談の直前、帝から、 やまだは優秀だけど乗っ取られそうで怖い。誰かなんとかしてくれないかな。チラッ という内容の書状が届く。会談の途中、へいるまんがとうどうにやられた。 という連絡が届き、動揺からその書状を落としてしまい、内容を読んだやまだは宣戦布告と取り即攻撃開始。 くにおは皆を逃がす為一人残り戦うがさおりが捕らわれた事と、やまだ軍に入ってたはせべの説得で投降する。 ごうだ達の居場所がわかるまで、という条件でやまだ軍に協力するくにお。 とうどう軍のかみじょう、やまもとを倒した後、ごうだがとうどう軍に居た。という情報を入手、 やまだに挨拶して通行手形を貰い去ろうとするが、やまだは居留守を使い会えない。 結局、さおりを連れ手形無しで警備を蹴散らしながらとうどう軍を目指す。 しかしとうどう軍の具体的な位置がわからず、取り敢えず本拠地に向かう途中でやまだ軍のりゅういち、りゅうじと遭遇。 当然怒ってる二人と戦闘になる。はせべが手形を届けてくれたので戦闘は終わり、ごうだの居場所も判明。 無事?ごだいとも合流、更にすがたも一行に加わった。 559 くにおくんの三国志だよ全員集合! sage ▼ 2022/10/09(日) 08 52 27.63 ID DIHfkh/h0 [4回目] 伍章 猛虎、草に伏す りゅうひょうの世話となる三兄弟達。自分達に足りない軍師を求め、臥竜と呼ばれるみさこを訪ねる。 三回目の訪問でようやく会え、みさこは仲間に加わるが直後やまだ軍の侵攻が始まる。 一旦撃退するがりゅうひょうが死亡、後を継いだりゅうそうは即降伏してしまう。 侵攻からの避難民を連れながら撤退する事になり、時間を稼ぐ為みさこは空城計を行う。 更に避難民を守る為にりゅうそうの兄りゅうきに協力を要請、即降伏に納得していない兵を纏めて貰う。 撤退は成功。その後やまだに対抗する為、まえだの息子りきに会いに行く。 560 くにおくんの三国志だよ全員集合! sage ▼ 2022/10/09(日) 09 19 43.83 ID DIHfkh/h0 [5回目] 陸章 決戦、赤壁燃ゆ みさこの煽り混じりの説得でりきはやまだと戦う事を了承。決戦の準備に色々動き廻る。 戦いが始まるが此方の策が大成功、やまだは即撤退を始める。 包囲を必死に抜けようとするやまだと、立ち塞がる者を次々撃破し追うくにお。 遂にやまだの前に立つくにお、やまだはあまりの惨敗状態から自棄になりとっとと殺せと叫ぶ。 そんなやまだにくにおは発破をかけやまだのやる気を引き出す。 良いだろう、お前は俺の本気をまだ見ていない。 くにおとやまだのタイマン。結果はくにおの勝利だったが止めを刺すことは出来ず、はせべにやまだを預け戻るくにお。 やまだを逃がした事をごうだは、お前がそうしたかったのならそれで良い。と言い、りきは大勝利なのは確かなので一応納得した。 そして、三兄弟達はみさこの天下三分の構想を実現するため建国を始める。彼らの戦いはこれからだ。 終わり 561 ゲーム好き名無しさん sage ▼ 2022/10/09(日) 09 41 42.96 ID WL5F6B/U0 [1回目] 乙 劉表とかそのまんまなのか 562 くにおくんの三国志だよ全員集合! sage ▼ 2022/10/09(日) 09 57 11.07 ID DIHfkh/h0 [6回目] 一週目(難易度軟派)クリア後解放の難易度硬派から各章のED分岐が解放される 冗談ED 壱章 結界を強硬突破、明らかに弱体化したがさわぐち撃破。 さわぐちは三兄弟に黄巾族のトップを譲る。と言って去ってしまう。 弐章 みすずを撃退したところにさぶのアボボ計画を防げ。という謎の手紙が届く。 さぶのところに向かった三兄弟が見たのはゾンビ物の様に増殖したアボボの集団だった。 という夢だった。 参章 みすずとの戦いの直前ごだいが戻り、今回の責任を取って自分が先陣を切る。という、 しかしごだいに計略の実行とか無理なので正面突破のごり押しとなった。 肆章 ごうだではなく、ごだいの居場所を知りそちらに向かう。 ごだいはくにおがやまだ軍に協力してた事から、俺達を裏切ったのか。と怒り戦いに。 騒ぎを聞き付けたごうだが駆けつけ誤解を解いてくれた。 伍章 時間を稼ぐ方法を求め、変身術を使う仙人まつどを探し協力を頼む。 やまだに化けたまつどによってやまだ軍はサンバを踊りながら一時撤退していった。 陸章 船に乗り遅れ泳いだ結果、単身やまだ軍拠点に迷い混むくにお。 やまだ軍ネームドほぼ全員撃破するが肝心のやまだの事を完全に忘れてた為、怒ったりきと戦闘に。 シナリオが完全な滅茶苦茶になり怒った関羽ご本人が降臨。 三国志勉強し直せ。と説教された。 563 くにおくんの三国志だよ全員集合! sage ▼ 2022/10/09(日) 10 31 20.82 ID DIHfkh/h0 [7回目] 熱血ED 壱章 追い詰められたさわぐちは召喚術でトップ3の残り二人、にしむら、ねだちを呼びだした。 弐章 みすず撃退後やまだと合流、さぶを追い詰めるも、戻ってきたみすずに防がれ撤退する。 参章 やまだが提案した作戦は、はせべにみすずを呼び出してもらいタイマンに持ち込むだった。 肆章 とうどう軍の居場所を知り向かったら、丁度やまだが攻め込むところだったので警備を蹴散らした詫びも含め戦いに協力する。 その後とうどう軍の兵からごうだの居場所を聞き出しそちらに向かう。 伍章 やまだに、避難民の移動が終わるまで待ってくれたら自分達もおとなしく去る。だからそれまで停戦してくれ。 と説得に向かうが、やまだは影武者を会わせ侵攻を続ける。 敵は全て滅ぼす。とでも言うように。 陸章 彼はもうあなたの知るやまだじゃない。そう言いくにおがやまだのところに向かうのを止めようとするはせべ。 それでも進むくにおの前に禍々しいオーラを纏い、異常な言動をするやまだが現れ襲いかかる。 やがて倒れたやまだを前にはせべが語る。 やまだは徐々に精神を病みここ最近は悪化の一途を辿っていた。戦いの影響かオーラは消え少し改善された様だが、おそらく元に戻る事は無いだろう。と、 そして、やまだは死んだ。そう伝える様言い、やまだを知る者が居ないところに連れていく。と去っていくはせべ。 りき達はこの地のとその民が平和ならそれで良く、三兄弟達と敵対する気は無い。と言う。 その後三兄弟達は朝廷に仕えやがて漢は復興する。そしてくにおは、乱世の終わった世界を見たい。と旅に出た。 564 くにおくんの三国志だよ全員集合! sage ▼ 2022/10/09(日) 10 39 45.05 ID DIHfkh/h0 [8回目] 以上で終わりです。 やまだがおかしくなった理由は明言されてないが描写からすると、 さぶ暗殺失敗後の逃亡中に疑心暗鬼から殺害した叔父の怨霊に取り付かれた為だと思われる。 565 ゲーム好き名無しさん sage ▼ 2022/10/14(金) 18 27 51.70 ID q76qr37c0 [1回目] 乙でした!くにおくんは本当に色々あるなw
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<魏 255年> <蜀漢 255年> <呉 255年> 255年 正元二年(魏) 皇帝 曹髦(魏高貴郷公) 皇后 →卞氏(父は卞隆) 三公(魏) 太傅:(空位) 太尉:司馬孚 司徒:高柔 司空:鄭沖 その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬師→司馬昭(大将軍) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬師→司馬昭(前衛将軍) 驃騎将軍:→王昶(前征南大將軍) 車騎将軍:郭淮→(死去) 衛将軍:司馬昭→胡遵(前征東大將軍) 地方官 揚州刺史:文欽→(逃走) 雍州刺史:王経 主な事件 正元二年春正月乙丑、鎮東将軍の毌丘倹、揚州刺史の文欽が叛く。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 正月戊寅、大将軍の司馬師は征伐に赴く。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 正月癸未、車騎將軍の郭淮が薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 閏月己亥、文欽を楽嘉に破り、文欽は遁走し遂に呉に奔る。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 閏月甲辰、安風津の都尉が毌丘倹を斬り、都に首を送ってきた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 閏月壬子、また淮南の士民諸為毌丘倹﹑文欽の為にたぶらかされた者を特に赦した。鎮南将軍の諸葛誕を鎮東大將軍と為す。司馬師が許昌で薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 二月丁巳、衛將軍の司馬昭を大將軍と為し、錄尚書事とす。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 二月甲子、呉の大將孫峻等は兵十萬と号し寿春に至る。諸葛誕は之を打ち破る。呉の左將軍留贊を斬る。捕虜を京都に献上する。。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 三月、皇后に卞氏を立てる。大赦。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 夏四月甲寅、后の父卞隆を列侯に封じる。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 甲戌、征南大將軍の王昶を驃騎將軍と為す。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 秋七月、征東大將軍の胡遵を衛將軍に、鎮東大將軍の諸葛誕を征東大將軍と為す。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月辛亥、蜀の大將軍姜維が狄道を攻め、雍州刺史の王経が洮西で戦い、王経は大敗する。戻って狄道城を保つ。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月辛未、長水校尉鄧艾を以って行安西將軍と為し、征西將軍の陳泰と力を合わせて姜維を拒む。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月戊辰、太尉司馬孚を遣わして後ろに続かせた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 九月庚子、帝は尚書の学業を終え、聴講し、親しく授けてくれる司空鄭沖﹑侍中鄭小同等に各々格差があって下賜した。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 九月甲辰、姜維は退却した《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 冬十月、詔して「私の德が薄く、寇虐を滅ぼせない。蜀賊が陸路を侵入してきて洮西で戰ったが破れた。多くの將士が死亡し合せて千數を数える。私は深く痛み不憫で悼む。所在の郡の典農及び安撫夷二護軍の各部の大吏に令して門戶を回り慰撫させた。賦役を一年免除した。力戰して死んだ者は皆舊科の如くにし遺漏のないようにさせた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 十一月甲午、隴右四郡及金城は連年敵を受け、ある者は亡くなり、或る者は叛いて賊に投じたりして,その親戚で本土に留まっている者は不安として、皆特に之を赦した。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 十一月癸丑、詔して「洮西之戰に従軍し、將吏士民であるいは戦って死んだもの、あるいは洮水に溺れ沈んだ者は今だ骸骨も回収できず、原野に棄てられている。私は日頃から之を悼む。征西、安西將軍に告げる。戦没及び水死者の亡骸を求めて回収し、慰霊せよ《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 誕生者 死没者 郭淮(車騎将軍) 司馬師(大将軍)
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194年中国と1550年西日本を融合した半架空シナリオ。 あらすじ 時は西暦194年大陸ではもはや名ばかりの漢王室に見切りをつけ、有力な諸侯達が割拠。 中原を覗う。 時を同じくして日本では「下克上」の名のもとに各地の大名達が上洛を夢みていた。 大陸と日本 両国を股にかけた強者達の伝説が今始まる。 (OPより) 入手先 戦国史旧作シナリオ復興委員会 備考 シナリオデータ シナリオ名: 三国志vs戦国史(西日本) 作者: taka-mura 現バージョン: - 最終更新: 2006年1月31日更新 動作環境: SE◎ FE○ 旧× 規模: 中国大陸及び日本 開始年月: 194年1月 大名家数: 225 城数: 445 武将数: 1733 攻略難易度表(難 S ~ F 易) S A B C D E F キャプチャ画像 リプレイサイト 関連項目 以下、加筆求む
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<魏 228年> <蜀漢 228年> <呉 228年> 228年 太和二年(魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人) 三公 太傅:鍾繇 太尉:華歆(前司徒) 司徒:王朗(前司空)→(死亡) 司空:陳群(前鎮軍大將軍) 九卿 その他の要職 大司馬:曹休(前征東大將軍)→(死亡) 大将軍:曹真(前中軍大將軍) 驃騎大將軍:司馬懿(前撫軍大將軍) 地方官 主な事件 二年春正月、司馬懿は新城を攻め破る。孟達を斬り其首を都に送る。新城の内、上庸、武陵、巫縣を分けて上庸郡と為し、錫県を錫郡と為す《三国志魏書明帝紀》司馬懿は孟達の將の李輔と孟達の甥の鄧賢を誘った。賢等は門を開き軍を招き入れる。孟達は3ヶ月と6日囲まれ、敗れる。その首は洛陽の四達之衢で焚かれる《三国志魏書明帝紀に引く魏略》 蜀大將の諸葛亮が天水、南安、安定三郡を攻め、吏民は之に応じて叛く。大將軍の曹真を都督として關右に遣わし、並んで右將軍張郃の軍を進めて街亭を討つ。大いに破る。諸葛亮は敗走する。三郡を平らぐ《三国志魏書明帝紀》 丁未,長安に行幸する《三国志魏書明帝紀》 夏四月丁酉、洛陽宮に還る。死罪以下の囚人を赦免した《三国志魏書明帝紀》 四月乙巳,諸葛亮討伐の論功行賞を行う。封爵増邑に各々格差があった《三国志魏書明帝紀》 五月、大旱魃《三国志魏書明帝紀》 六月、詔に曰う「尊儒貴学。王教の本だ。博士を選びその才に任せ常に側に置くだろう。郡國に申し渡せ。經學の士を挙げよ」《三国志魏書明帝紀》 秋九月、曹休は諸軍を率いて皖に至り、吳將の陸議と石亭に於いて戦う。連敗す《三国志魏書明帝紀》 乙酉,皇子の曹穆を立てて繁陽王と為す《三国志魏書明帝紀》 庚子、大司馬の曹休が薨ず《三国志魏書明帝紀》 冬十月、詔して公卿近臣は良將各一人を挙げよ《三国志魏書明帝紀》 十一月、司徒の王朗が薨ず《三国志魏書明帝紀》 十二月、諸葛亮が陳倉を囲む。曹真は將軍の費曜等を遣わして之を拒む《三国志魏書明帝紀》これより先、將軍の郝昭に陳倉城を築かせる。諸葛亮は郝昭と同鄉の靳詳に城外から何度も説得させるが聴かず。このとき城兵は合せて千余人。諸葛亮は数万。東に救援を求めることも出来ず。諸葛亮が兵を進めて雲梯・衝車を立てて城に臨むと火箭をもって逆射し雲梯、梯、梯上人を皆燒死させた。又繩を以て連石磨を衝車に落し衝車を折る。さらに井闌百尺城中に射込む。土で丸填塹を造り、城をよじ上ろうとした。郝昭は又內側に重牆を築く。諸葛亮は又突を穿って城裏に出んと欲す。郝昭は又城內に地を穿ち橫に広げた。昼夜相攻拒こと二十餘日。諸葛亮は計無く、救援が至ったので引き退いた。詔してよく守備したことを嘉みし、列侯を賜う。及都に還り、帝は引見し慰勞する《三国志魏書明帝紀に引く魏略》 十二月、遼東太守公孫恭の兄の子である公孫淵が公孫恭の位を奪う。公孫淵は遼東太守を領す《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者 曹休:大司馬
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<魏 244年> <蜀漢 244年> <呉 244年> 244年 正始五年 (魏) 皇帝 曹芳(魏齊王・字蘭卿) 皇后 甄氏(文帝皇后の甄氏の兄甄儼の孫娘) 三公 太傅:司馬懿(前太尉) 太尉:蒋済(前領軍將軍) 司徒:衛臻(前司空) 司空:崔林(前司隸校尉)→(死亡) 九卿 衛尉: その他の要職 大将軍:曹爽(前武衛將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:王淩(前征東將軍) 地方官 荊州刺史:胡質 幽州刺史:母*丘儉 雍州刺史:郭淮 主な事件 五年春二月、詔して大將軍の曹爽は軍を率いて蜀を征討する《三国志魏書三少帝紀》 夏四月朔、日蝕《三国志魏書三少帝紀》 五月癸巳、帝は「尚書」の講義を終了した。太常を遣わして太牢を捧げ孔子を辟雍に祀り、顏淵を配した。太傳、大將軍及び侍講者に各々格差を以って下賜があった《三国志魏書三少帝紀》 五月丙午、大將軍の曹爽は軍を還す《三国志魏書三少帝紀》 秋八月、秦王の曹詢が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 九月、鮮卑が內附し、遼東屬國を置く。昌黎縣を立ててここに居住させる《三国志魏書三少帝紀》 冬十一月癸卯、詔して故人の尚書令荀攸を太祖の廟庭に祀る《三国志魏書三少帝紀》 十一月己酉、秦國を復して京兆郡と為す《三国志魏書三少帝紀》 十二月,司空の崔林が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 この年、曹髦を郯縣高貴鄉公に封ず《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者 曹詢:秦王 崔林:司空
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<魏 234年> <蜀漢 234年> <呉 234年> 234年 青龍二年 (魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人) 三公 太傅:(空位) 太尉:(空位) 司徒:董昭(前衛尉) 司空:陳群(前鎮軍大將軍) 九卿 衛尉: その他の要職 大司馬:公孫淵(樂浪公・前車騎將軍) 大将軍:司馬懿(前驃騎將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:→ 地方官 主な事件 青龍二年春二月乙未、太白が熒惑を犯す《三国志魏書明帝紀》 二月癸酉(2月18日)、詔して「官刑に鞭打ちがあるのは慢怠を糾弾するためのものだが、無辜の死罪が多い。鞭杖之制を減らすように」《三国志魏書明帝紀》 三月庚寅(3月6日)、山陽公(漢献帝)が薨じた。帝は素服で發哀した。使者に節を持たせ喪事を典護する。《三国志魏書明帝紀》 三月己酉、大赦《三国志魏書明帝紀》 夏四月、大疫。崇華殿が火災《三国志魏書明帝紀》 四月丙寅、有司に詔して太牢をもって文帝廟に告祠させ、山陽公を漢孝獻皇帝と追諡する。葬礼は漢の礼制であった。<葬礼の模様>《三国志魏書明帝紀》 是月、諸葛亮は斜谷に出て渭南に屯す。司馬懿は諸軍を率いて之を拒む。司馬懿に詔して「ただ堅く拒守しその矛先を挫け。必ず敗走するだろう。敗走すれば之を追え。これが全勝之道だ」《三国志魏書明帝紀》諸葛亮は使者に書を持たせ遣わし、また巾幗婦人之飾を送る。司馬懿は怒り出て戦わんとするが、辛毗が節を杖つき詔を奉じる。司馬懿及び軍吏以下に勅し止む。司馬懿は使者に会い、ただ寝食及び煩簡な事柄のみ問い、戦いのことは問わず。対して使者は「諸葛公は夜寝静まってから寝、罰は二十以上を皆親しく覽ます。食は數升を過ぎず」と。司馬懿は「亮の体は斃れるだろう。そう長くはあるまい?」《三国志魏書明帝紀に引く魏氏春秋》 五月、太白が昼に見えた。孫權が居巢湖の口に入り、合肥新城に向かう。又將の陸議﹑孫韶に各々萬餘人を率いさせて淮水﹑沔水に入らせた《三国志魏書明帝紀》 六月、征東將軍の滿寵は軍を進めて拒んだ。滿寵は新城の守りを解いて賊を壽春に引き込まんと欲す。帝は聽かず。曰わく「先帝は東に合肥を置き、南は襄陽を守り、西は祁山を固め、賊が來たれば三城之下に破る。地には必爭の地がある。孫権が新城を攻めても必ず敗れるだろう。諸將は堅守せよ。自ら之を征伐せん。至れば孫権は敗走するだろう」と。《三国志魏書明帝紀》 秋七月壬寅、帝は親しく御龍舟に乗って東征した。孫権は新城を攻めるも、將軍の張穎等が力戰固守し、帝の軍が未だ數百里に至る前に遁走した。議﹑韶等もまた退く。大將軍が諸葛亮と相対峙しているので車駕は西の長安へ向かうべきと進言があったが、帝は「孫権が敗走した今、諸葛亮も破られるだろう。大將軍が制している。何を憂うことがあろうか」。壽春に進軍し諸將の功を録し、格差をもって封賞する《三国志魏書明帝紀》 八月己未、大いに兵を休め、六軍を饗応し使者に節を持たせて合肥・壽春諸軍の労を労わる。《三国志魏書明帝紀》 八月辛巳、許昌宮に還る《三国志魏書明帝紀》 司馬懿は諸葛亮と対峙し続け、何度も挑戰されたが応じず。諸葛亮が死んだので其軍は引き退いた《三国志魏書明帝紀》 冬十月乙丑、月が鎮星及び軒轅を犯す《三国志魏書明帝紀》 十月戊寅、月が太白を犯す《三国志魏書明帝紀》 十一月、京都で地震。東南から来て隱隱と音あり、屋瓦を揺り動かす《三国志魏書明帝紀》 十二月、有司に詔して大辟を刪定する,死罪を減じる《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者
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<魏 257年> <蜀漢 257年> <呉 257年> 257年 太平二年(呉) 皇帝 孫亮(字子明・呉会稽王) 皇后 全氏(全尚の娘) 皇太子 (空位) 三公(呉) 丞相:? 太傅:? その他の要職(呉) 太常:? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:丁密(257?~262) 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:? 大将軍:孫綝(假節・永康侯) 驃騎将軍:? 車騎将軍:劉纂? 衛将軍:? 上大將軍:? 主な事件 二年春二月甲寅、大雨。震電。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 二月乙卯、雪。大寒。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 二月、長沙東部を湘東郡に、西部を衡陽郡に、會稽東部を臨海郡に、豫章東部を臨川郡と為す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 夏四月、孫亮は正殿に臨む。大赦。親しく政事に関わり始める。孫綝が上奏したものの多くを見て難問する。また、兵の子弟で年十八以下十五以上のものに科して三千餘人を得る。選んで大將の子弟で年少の勇力ある者を將帥と為す。孫亮曰わく、「吾が此軍を立て一緒に成長していこうと思っている」日中苑中で習練する《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 五月、魏の征東大將軍の諸葛誕が淮南を以て叛旗を翻し壽春城を固守する。將軍の朱成を遣わして臣と称し、又子の諸葛靚、長史の吳綱、諸牙門の子弟を質として遣わす。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 六月、文欽、唐咨、全端等を遣わして步騎三萬で諸葛誕を救う。朱異は自ら虎林軍を率いて夏口を襲う。夏口の督の孫壹は魏に奔る。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 秋七月、孫綝は軍を率いて壽春を救う。鑊里に至り、朱異が夏口から到着する。孫綝は朱異を遣わして前部督と為し、丁奉等と將介士五萬で圍を解く。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 八月、會稽南部が叛き、都尉を殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 鄱陽、新都の民も亂を為す。廷尉の丁密、步兵校尉の鄭冑、將軍の鍾離牧は軍を率いて之を討つ。朱異は軍糧が乏しくなったので引還した。孫綝は大いに怒った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 九月朔己巳、朱異を鑊里で殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 九月辛未、孫綝は鑊里から建業に帰還する。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 九月甲申、大赦。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 十一月、全緒の子の全禕、全儀が其母を連れて魏に奔る。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 十二月全端、懌等は壽春城から司馬文王に会う《三国志呉書三嗣主伝孫亮》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 256年<< >>258年